毒にも薬にもなれない

なんにもならない無意味な日記

9月27日 天気悪い

人がやっていると、なんでもやってみたくなるのは 果たして長所か短所か。

友人が「誕生日まで日記をつける」という遊び(遊び?)をはじめたため、早速真似してみたくなる。
おんなじ、はてなブログで。

悪い癖だよねえ

先日は、フォロワーがやっているのをみてRadiotalkなるラジオ配信アプリに手をつけ、話すことが特になく一晩でやめた。
フォロワーがハマっているものには手を出したくなるし(ただし体力が追い付かず、ゲーム漫画等受動的コンテンツは実際にはなかなか手が出ない)、誰かが絵を描いていれば自分も描きたくなる。

まあ、というわけで…どういうわけか…ものは試し、何事も経験、日記というものをやってみますが、
いや、別に、誕生日までとか毎日とかそういう縛りはなく。
内容もまあ、その時その時で、適当に。

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私の愛するフォロワ~~~~たちは骨身に沁みていると思うけど、
私って大概クズである。いわゆる真面目系クズ。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」

特段好きな言葉ではないけど、私の生き方ってこれだよなあと思う。

ある人から、「自分の能力を過小評価しすぎだ」と指摘された。

どうかな。
実は、近頃そういう部分で歪が生じてきている実感があります。

どうも基本的に、私は私のことを「常識しらずで何にもできない無能」と評価しているらしい。
でもそれは、元来の自分の性格から来たものではなく、今まで生きてきて周囲から受けた反応・評価と、もともとの自己評価とのギャップから学習してギュウッとなった結果で、本来は自信過剰で怠惰なナルシストなんですよ。
だから、私が普通にできることをできない人を見るとめちゃめちゃ困惑してしまう。

「なんでだ!?私はダメ人間のはずなのに、この分野においてはこの人より上だと?」
「いいや、私がダメ人間なのは明白だ、そんなわけあるはずが…」
「でも現にこの分野においては…………??????」

要するに、自分に対して妥当な評価が下せないわけ。
だから、大きい組織の下のほうでちいちゃくなっているよりは、小さい組織のやや上のほうでドヤ顔していたいと思ってしまう。周囲の反応が、私が自分で思ってるほど無能ではないことを教えてくれるからね。
もちろん、周囲の人々の優しさ・寛容さに大いに甘えているのはわかってます。

妥当な自信を持てるようになりたいものです。
自己評価が天才と無能をすごい勢いで行ったり来たりしているの、明らかにおかしいって……。当たり前のように鬱病歴があるんですが、イチゼロ思考(だっけ?)の名残って感じある。

あと、そもそも周囲の目を気にしすぎている。
ひとりで知らないところ行くのを異常に怖がるんですよね私。
注文の仕方間違えたらどうしよう、靴を脱ぐ場所を間違えたら、並ぶところを間違えたら、わからなくて手間取ったら、……
これも全部「自分は常識がない恥ずかしい人間だ」っていう思い込みが足を引っ張っているというか。根深い。

そして実際、気の遣いどころが変だったりする(ガチで常識がない)ので、もうだめだってこれほんと

だんだんめんどくさくなってきた~生きるのめんどくせえ~~~みんな私を崇めて生きろ

……そういった感じで諸々、今ようやく学習中というか、ようやく生き始めたというか、むぅの人生はこれからだ!完!みたいな感じなので、多大なるご迷惑をおかけしているとは存じておりますが、なんていうかもうしばらく皆私に優しくしていてほしいです、頼むよ世界。バブ。

 

 

明日からはなんか楽しい話題にするから許して